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念願の関ヶ原を旅してきた(後編)

文 小林 毅


2015.08.27

大谷吉継

yjimage31Q4D486この小早川秀秋の裏切りを想定していた人物がいました。大谷吉継です。吉継は、もともと東軍側で、会津遠征にも同行予定でした。遠征の途中で三成の居城である佐和山に寄り、三成の息子を従軍させることになっていましたが、ここで三成から挙兵について打ち明けられるのでした。

三成と吉継は旧知の仲であり、お互いをリスペクトし合っていましたが、こんなエピソードがあります。

吉継は、ある時期からハンセン病が発病し、人相が日に日に変わっていく状況でした。吉継の肖像画が頭巾をかぶって描かれているのは、そのことが原因でした。

ある茶会において、吉継の番になったとき、顔から膿が茶碗に落ちたのですが、他の参列者はそれを嫌い、飲むふりをして茶碗を回していました。そして三成の番になったのですが、彼は全然気に留めず、その茶を一気に飲みほしたのでした。吉継は、外見上で判断しない三成の気持ちに感動したということです。

さて、吉継は三成の計画を聞かされた時、当初は大反対をします。三成如きが徳川家康に勝てる訳がない、という理由です。それは、石高、兵力、人望、経験などすべてにおいてかなわないということを容赦なく告げたようです。

しかしながら、三成から計画の内容を聞くにつれ、どちらかというと、男気スイッチが入ったというか、この計画で一緒に死のう、という覚悟がわいてくることになり、最終的に同心することになりました。

西軍の参謀的な立場で、この計画の演出を担当するのですが、三成自身は総大将の器でないということで、あくまでも黒子に徹するよう指示したとされます。『お前は横柄で人望がない、故、お前では人は集まらない』と、かなり辛辣に伝えたと言われます。

三成もご指摘ごもっとも、謙虚に受け止め、ここに西軍の骨組みが固まるのでした。

そんな人を見る目に長けている吉継でしたので、小早川秀秋の裏切りは想定内でした。合戦前からこいつはやばい、絶対何かやらかす、という直感が働いたのです。

吉継の陣は秀秋の陣のふもとでした。そしてその目は常に松尾山に向いており、秀秋を監視していました。

そして秀秋が裏切った報告が入ると、全軍を松尾山に向け、これを防ぐことに注力します。驚いたのは小早川勢でした。数も圧倒していたので、あっという間に制圧できると考えていたが意外と手ごわい。記録では2度ほど松尾山に押し戻されたということでした。

平地とは違い、狭い山道からの攻撃でしたので、少ない兵力でも持ちこたえることができます。しかも吉継は想定していましたから準備ができていました。本当に裏切りやがった、と思い、すぐに行動に起こす一流の武将であります。

しかし吉継も想定外のことが起こります。

共に小早川勢を迎え撃つと思っていた、西軍側の脇坂、小川、朽木、赤座勢がなんと大谷勢に向けて発砲してきたのでした。脇から想定外の攻撃を受けた大谷勢は混乱し、やがて敗走となってしまいました。

吉継はもはやこれまでと覚悟を決め、その場で自害し、その首はさらし者になることを避けるため、部下の手によりどこかに埋葬されたということです。この大谷吉継の三成に対する友情と、悲劇の最期が戦国ファン、特に歴女と呼ばれる層の心を熱くしており、毎年多くの人たちが墓参りをしているということです。

私も大谷吉継の陣跡に訪れましたが、そのまた山奥にあるお墓までは行きませんでした。一人だったので、ちょっと怖かったというのが正直な気持ちでした。。。

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