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たった一人の生還 たか号漂流 二十七日間の戦い

文 小林 毅


2016.09.24

こんにちは、あなたのキャリアアップする転職を実現させる人材コンサルタントの小林毅です。

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佐野さんの壮絶な戦いが綴られています。

表題の著者、佐野三治氏は、私の元上司でした。2社目のパナソニックグループのときの直属の上司で、それはもう、大変厳しい方でした。

初出社のとき所長より「佐野君は、ヨットレース中に遭難し、一人生き残った人なんだよ。」という話がされました。

記憶をたどると、確かに大きいニュースで報道されていました。そのとき、髭がボウボウに生えた、たった一人の生還者がいたという記憶です。

私が入社したのが1997年1月で、佐野さんの事故があったのが1992年でしたから、当時で5年前の話でした。92年というと、私は22歳でした。1浪しましたから、大学3年生の冬です。その頃は夕方から池袋でバイトをし、終わったらバイト仲間とそのまま朝まで飲み明かし、始発で帰るという日々でした。

そんな時代でしたが、佐野さんの顔は覚えていました。そのくらい強烈な事故でした。

上司だった佐野さんは、いったいどんな人だったの?

この話をすると、「さぞ、超越した仏のような人だったのでしょう?」と聞かれましたが、私は仕事に厳しい人という印象が強いですね。あのくらいの事故を起こした人は、もう海にはいきたくない、ヨットなんてとんでもない、と思うのでしょうが、佐野さんは毎週ヨットに乗っていました。

そのせいか、月曜日の朝はご機嫌がとても悪かったです。恐らく、日曜日の遅くまでヨットに乗っていて寝不足だったり、疲れていたのだと思います。その眠気を覚ますために、月曜日の朝は思いっきりエンジン全開で飛ばす、という感じでした。耳鳴りがするほど大声で、関係各社や私に指導?してくれていましたね(苦笑)。

ただ、全体的に愛を持っている人でしたので、厳しいながらも納得感を持って仕事をしていました。たまに突っ込んでも許容してくれるだけの器は持ち合わせていたので、仕事はやりやすく、業者の方もそんな佐野さんを尊敬していたと思います。

その佐野さんと先日久しぶりにランチをしました。

私がパナソニックを辞めてから、常に気にかけていただいていて、ブログなども定期的にチェックしてくれているようでした。久しぶりに会っても、当時と変わらず明るい雰囲気でしたが、10年以上経っているので、お互い老けたな、という感じはありました。

実は出会ってから最近まで、佐野さんの壮絶な体験を綴った著書、『たった一人の生還 たか号漂流 二十七日間の戦い』は読んでいませんでした。

一緒に働いているときは、あまり先入観を持ちたくないという理由でした。上司部下の関係だったので、余計な情報を入れず、仕事に集中する関係でいたかったのです。

私が辞めた後は、何度か読むチャンスはありましたが、私自身が自分のことで必死で不安定な状況だったので、余裕がなかったというのが本音です。また出版後、20年以上も経っている本で、当然古本になるので、そこも理由としてありました。

この度、地元の図書館で見つけましたので、遅まきながら拝読させていただいたのでした。

内容は。。。もっと早く読んでおけばよかった、なぜ読まなかったのか、というくらい、壮絶なものでした。そして、私自身が生きる上で悩んでいたことが、全く問題ないと思えるくらいでした。

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