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プレゼント交換が招いた、ちょっと苦い少年時代の思い出

文 小林 毅


2016.10.24

こんにちは、あなたのキャリアアップする転職を実現させる人材コンサルタントの小林毅です。

小学生のころ、学校行事のひとつにプレゼント交換というものがありました。今の時代にあるのかどうかはわかりませんが、私が小学生だった1980年初頭にはあったイベントでした。

内容は、各自が誰かのためにプレゼントを用意し、それを色々なやり方で交換する、というものでした。ペアを組んでその人のためにという場合もあれば、自分の物が誰に当たるかわからないというパターンもありました。

私はこのイベントが大嫌いでした。

もともと欲しいものがあれば自分で買えばいい、という考えを持っていたからですが、プレゼントを用意する側も、親身になって考える人もいれば、適当に二束三文の物を用意する人もいて、結果嫌な気持ちになると思うからでした。

自分が用意した以上のものを手に入れることは基本不可能となれば、いったいこのイベントに何の意味があるのだろうといつも思っていました。

その考えを決定づけたのが小学校2年生のときでした。

ある時、朝になってもプレゼントが思いつかず途方に暮れていて、自分が一番大好きだった『地球のひみつ』という本をチョイスしました。母親から、本当にいいのか?と言われましたが、プレゼントなのだからこのくらいのものを用意しなければいけない、という気持ちでした。

この時はペアが決まっていて、W君という、活発な友達でした。彼はとても面白くてクラスでも人気がありました。ちょうどテレビでやっていた、堺正章さんが演じる西遊記の孫悟空みたいな、そんな明るさもありました。W君だから、という気持ちもありましたので、大事な大事な地球のひみつをチョイスしたのでした。

ところが、W君から渡されたのは新品の鉛筆2本でした。

この時のショックは本当に大きく、今でも忘れられないものでした(だから今書いているのですが)。もう、私は怒りやら、悲しみやら、情けなさなどがこみあげてきて、泣したことを覚えています。W君は、そんな私に笑いながら接していて、そして私がプレゼントに選んだ地球のひみつを大事そうに読んでいました。

それからことあるごとに私はW君がいかにせこく、無礼な人物かを吹聴していました。そのたび、W君はそうだそうだ、と笑って認めていました。

それから私は学級内行事でプレゼント交換がある度、それを拒否し、みんなが楽しそうにしているのを傍らに、ひとり廊下に出ていました。先生もそんな私の行動に何も言わず、元からいないものという態度で接していました。このあたりの私は扱いづらい生徒だったと思います。何度もそのようなことは通知表にも書いてありました。

それから数年が経ち、W君はF君に名前を変えていました。そしてその後転校し、それ以来会っていません。母子家庭となったので、何かの事情で生活環境を変えたのだと思います。

ある日W君とプロレスごっこをしていて彼の体が触れたとき、なんとも言えない臭い匂いが皮膚に付着したことがありました。この匂いは、洗っても洗っても、なかなか落ちませんでした。

大学で東京に出てきたとき、その時と同じ匂いが西新宿にいるとき漂ってきました。振り返るとそこにはホームレスがいました

その瞬間、少年期の体験が一気にフィードバックし、ああ、そういうことだったのか、とすべて理解できたのでした。

W君は、とても貧乏だったのです。お風呂も毎日満足に入ることができないくらい。。。だからあの時の新品の鉛筆2本すら、用意することが大変だったのだと。私の地球のひみつと同じくらい、W君からすると、大切なものだったのだと。

そんな気持ちも知らず、当時の私は自分の思ったことを吹聴し、彼を貶めようと躍起になっていました。しかもW君は笑顔で私に同調していたのです。それを知ったとき、私は自分のことが恥ずかしくなり、そして涙が止まりませんでした。

小学生のときは、ちょっとしたことでも各家庭が垣間見れる時があります。学校としては、ただのイベントで、特別深い意味もなく行っていたと思います。しかし時に残酷な結果となることもあるのです。

プレゼント交換が招いたちょっと苦い思い出話でした。

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