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考察 三顧の礼

文 小林 毅


2017.08.03

こんにちは、あなたのキャリアアップする転職をサポートする、人材コンサルタントの小林毅です。

私は中学生の頃から三国志が大好きで、小説や漫画、ゲームなどで楽しんできました。この物語は大きくは前半と後半に分かれています。それは諸葛孔明以前、以後という感じです。正史ではなく、物語での三国志の主人公は、劉備であり、諸葛孔明であります。私は劉備のサクセスストーリーを実現させた孔明の手腕に魅了されるのです。

孔明と出会う以前の劉備は、歴戦の勇者であり、人望もあり、漢王朝の末裔というブランドもあるが、戦に弱く自分の国さえも持てない、不遇の状態でした。そんな時ある人物より、臥龍と言われる人物がおり、そのものを軍師として迎えれば状況は変わるだろう、というアドバイスを受けます。

この臥龍が孔明のことであるのですが、苦心の末軍師として迎えることに成功します。この時劉備は、孔明の邸宅に三度訪ねました。この態度がとても丁重だったため、三顧の礼という諺が生まれています。

劉備は孔明に尋ねます。どうすれば漢王朝を再興することができる(劉備が勝つことができる)のか、と。そこで孔明はロードマップを描きます。

  1. 今客将として世話になっている劉表の土地、荊州を奪うこと
  2. 江東の孫権と同盟を結び、曹操と対抗する力を得ること
  3. 荊州を地盤に、劉璋の支配する益州(四川省あたり)を奪い取ること

81306024009668[1]これで、北は曹操、東は孫権、そして劉備が西を支配し、三国鼎立を実現させることが第一ステップである、としました。孔明は、まず国を持ちなさい、そして領民を支配することで安定した収益と人材を確保しなさい、と説いたのです。

今の劉備は、いわば客将ですから、自分で直接コントロールできない状況です。企業でいえば、下請けです。元請の支配下にいる限り、天下など語る資格さえありません。まずそこを脱しなさい、ということなのです。

孔明からすると、仕えるべき条件として劉備は最悪でした。

理想だけ語り、実態は何もないという、いわば夢追い人です。そして嘘か本当か、漢王朝の末裔という変なブランドがあり、プライドだけは高いのです。そして常に瀬戸際であり、死をも恐れない崖っぷちな状況でした。

そんな劉備を説得するためには、その本気度を試さなければいけません。そのために、わざと三度も足を運ばせたのではないかと思うのです。孔明さえ迎えることが出来れば活路が見いだせる、これが最後のチャンスなんだと思わせる必要があったのだと思うのです。

このときの策を天下三分の計と言い、現在でも広く知れ渡っています。

これを聞いた劉備は、目から鱗が落ちる思いでした。天下を一つとみるのではなく、まず3つという発想に転換すればいいのだと。ただ劉備は、ステップ①と③を頑なに拒否をしたと言われます。荊州を支配する劉表と益州を支配する劉璋は同族だからできない、というのです。

ここも天下を語ることで終わるか、統一を実現していくかの覚悟の問題が出てきます。

孔明は、同族に対する配慮が大切か、悪政に苦しんでいる民を救う方が大切かを問うたと言われ、最終的に三国鼎立を実現させることに成功します。

このときの孔明の心理状況を考えてみたくなるのです。

私の推測では、孔明は自分の立てた策にとても自信があったと思います。ただし、実現させるためにはプレーヤーを支配しなければなりません。立てた戦略を実現させるためには、劉備からの絶対的な信頼が必要で、そのために三顧の礼は必要だったのです

孔明は劉備の死後、中国統一のために北征に出ますが、そのときの出師の表で、この三顧の礼について触れています。恐らく、あの時自分の策を実現させるために劉備を試したことに対するお詫びが込められているのではと考えてしまいます。

軍師が立てる作戦は確実なものでなければいけません。一か八か、背水の陣のような作戦は愚の骨頂です。常に死を覚悟していた劉備、そして義兄弟である関羽、張飛を守りたかったと仮説を立てれば、私は孔明を思うと胸が熱くなるのです。

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