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高知県と桂浜、龍馬の里を訪ねて

文 小林 毅


2010.11.02

龍馬記念館と龍馬像

桂浜の龍馬像

桂浜の龍馬像

まず坂本龍馬記念館へ行こう、と車を進めると、ちょっと渋滞していました。
「しばらくお待ちいただくことになります。」
係の人から説明を受けていると、その間、この渋滞から脱落する車が数台。
結果、待った時間は5分程度。すぐに駐車場に入ることができました。

東京ではどこに行くにも渋滞はつきものですが、やはり地方の人はその感覚が違うのだろうか。
脱落した車のナンバーは軒並み四国の県ばかりでした。

記念館は、司馬遼太郎のそれとは違い、割と色々のものが展示されています。
龍馬の手紙のオリジナルも存在し、それはファンとしては楽しめるような作りになのです。
なかでも、坂本家の自宅模型は良かった。私の父親も熱心に見ていました。丁度龍馬伝でその風景が描かれているので、思い出しながらチェックしているのでしょう。

また、龍馬暗殺の現場、近江屋を再現した間取りもありました。

当時龍馬は、欲がなく日本のことのみを考え行動していたため、中にはその存在を煙たがり、命を狙うことも多く、容易に外出することもままならない状況でした。
脱藩の身であるため(何度か許されます)、土佐藩邸には入らず、程ない場所の近江屋にてかくまわれていました。同志、中岡慎太郎の訪問があり、軍鶏鍋を囲むことに。その時龍馬は風邪をひいていたと言われています。
中岡慎太郎とは大きな考えは合っていましたが、その手法は違っていました。あくまでも武力で幕府を潰す必要があると慎太郎は考えますが、龍馬は無血を望みます。

半藤一利氏の「幕末史」によれば、武力の慎太郎と公武合体の龍馬は大変激論を交わしたはずである、そこで激情すれば、剣も抜きかねない。
よって、お互い太刀を手元に置かず、龍馬は床の間へ、慎太郎は離れた場所にそれぞれ置いたのではないか、ということです。そのことが剣の達人でもある龍馬が暗殺された理由のひとつでしょう。

そこに紹介状を持った刺客が現れ、龍馬の存在を確認すると、一気になだれ込み、両名をメッタ切り。龍馬はそこで絶命し、慎太郎は3日後に亡くなります。

それを思いつつその現場をみると、なるほどと感じてきました。

さて、龍馬暗殺の首謀者は誰なのか、という意見ですが、私は、薩摩陰謀説を考えています。
新しい日本を作るためには、すべて真っ白にしたことが望ましいと考えていた西郷と大久保は、朝廷と幕府がつながることを一番恐れていました。龍馬は日本人が殺しあうことを大変嫌い、仲間内で揉めている場合ではない、という主張から、船中八策を提示します。
その発想は、西郷らのそれと相反することです。

後の日本が歩んだ道は、戊辰戦争を経て、最後に西南戦争で西郷が士族を道連れにすることにより武士社会に一応の決着がつきますが、もし龍馬が生きていたら、と考えてみます。
個人的には争いは避けられず、龍馬がいようがいまいが、内乱は避けられなかったでしょう。きっと龍馬は海外に自分の居場所を見つけていたことでしょう。

物事を大局で見ることは得意な人でしたが、細かなこと、特に政府の運営については、興味を示さなかったと考えます(世界の海援隊をやる、という意見が物語っている)。

話を戻します。
その後、龍馬像の前で記念撮影。さあ、浜へ下りよう、と思ったとき、警察が登場。
曰く、津波警報が出ているので、ただちに非難してほしいと。非常に穏やかな波でしたが、夜には、桂浜周辺は割と高い波が来たようでした。龍馬像を観られただけ良しとしましょう。

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