こんにちは、あなたのキャリアアップする転職をサポートする、人材コンサルタントの小林毅です。
リア充という言葉が出て久しいですが、実はその定義がよくわかっていませんでした。簡単に言えば、仕事とプライベートが充実していることのようですが、何を持って充実しているのかがいまいちわからなかったのです。
これは主観的な要素もあると思うので、ある人が仕事とプライベート両方上手くいっていると思えばリア充に該当するのだと思います。
が、しかしです。
なんか楽しそうに見えるのだけど、自分に置き換えたら果たして同じように感じるのか、という疑問があると思うのです。典型的な事例は、UターンやIターンをした人たちです。
楽園移住者という勝者
彼らを特集する番組は、必ず田舎暮らしを選択した人の幸せにフォーカスし、楽園を手に入れた勝者、というイメージをもたせます。でも、本当にそうなのだろうか、といつも思うのです。
例えば、田舎暮らしをすることで大きな古民家に住んで、そこで夢だったカフェを運営している、という事例があったとします。その町か村の人口がどの程度いて、その人達がわざわざカフェに行くのかな、という疑問。外部から人がどのくらいやってくるのだろう、そして一日の売上はいくらなのか、ということまで気になってしまうのです。
恐らく一日1万円もいかないと思います。そうすると、材料の仕入れから光熱費、そして自分たちの人件費などを考えると、大赤字になるはずです。これって充実しているのかな、と思うのです。
また、田舎に引越し、畑仕事に精を出し、空いた時間はゴルフ三昧、ということも紹介されますが、そんなにゴルフってするものかな、と思います。誰とラウンドするの?いつも同じコースなの?などなど。
畑仕事なんてやったことが無いから、趣味の域ですよね?であれば、非営利活動です。そこに幸せを感じるかもしれませんが、果たしてリア充と言っていいのかがわかりませんでした。
幸福の定義とは?日常と非日常
先日、幸福の資本論、という本に出会い、その疑問が一気に解決しました。この本で紹介されているカテゴリーからすると、このような人はリア充ではなく、プア充というそうです。
仕事では満たされていない(稼げていない)が、地方で暮らすことでストレスが解消され、仲間ができ、精神的に満たされた状況を指すようです。このプア充は協力し合うことで日々の生活コストを切り詰め、そんなにお金が無くても、生活に苦労することが無いということでした。
秘密のケンミンSHOWに出てくる人たちは、とても笑顔が素敵で、楽しい暮らしをしているように見えます。私もあのような環境で暮らしたいと思うことしばしばですが、一方で、これは自分にとっては非日常なのだ、と思うのです。日常としてある今の生活レベル、収入、人間関係を精算してまで手に入れたいとは思わないのです。
今まで自分は満たされていないとずっと思っていましたが、どうやら私の状態こそがリア充のようなのです。それまでも働き方や生き方についてずっと考えを巡らせていたのですが、この本に出会うことである一定の答えを得た気分です。
よく地方に帰った人が勝者のように振る舞いますが、結局その人次第なのです。東京を捨てて失った貴重な日常を説明せず、それを飛び越え、新たに手に入れた日常を見せつているだけなのです。でもその日常が果たしていいものなのだろうかを考えなければいけません。我々目線で考えれば、あくまでも非日常のカテゴリーだから幸せに見えるだけ、と思います。
日常と非日常の2択という生き方
結論、地方に暮らすことと、都会で暮らすことはどっちも取っていいと思います。これだけの情報化社会で、インフラも整備されているのですから、どこで仕事をしてもいい、という気持ちになればいいのです。
都会なのか地方なのかの二択ではない、新たな選択が私たちには用意されているのです。楽園という言葉の意味は、それぞれの選択の中にあると思います。
先日、宇都宮に出張に行った際、ダブルプレイスという活動を推進していました。これは通常は東京で働き、週末は宇都宮で過ごす、という試みです。徐々にコミュニティを作りながら、自分に向いているかどうかを検証するので、とても良いと思っています。
地方移住で失敗している人は、人間関係が上手くいかなかった人たちです。価値観なども含め、自分にあった人付き合いができれば、地方移住もいいことかもしれませんね。
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